明和町/Meiwa-town

日本遺産” 祈る皇女斎王のみやこ 斎宮

明和町といえば何よりも斎王(伊勢神宮に巫女として奉仕した内親王または女王)の生活された地である斎宮寮の所在した処として名高いです。

初代斎王は十代崇神天皇の皇女豊鍬入姫命と伝わり、斎宮制度設立以降初代の伊勢斎王は天武天皇の皇女大来皇女(おおくのひめみこ)であります。一般的に天皇の譲位・崩御に伴い退位され、新斎王が占いの一種である亀卜により選ばれました。その後途絶・復活を経て76代の後醍醐天皇祥子内親王まで続きました。

カケチカラ発祥の地

懸税(カケチカラ)とは毎年10月に伊勢神宮で行われる神嘗祭で内垣に掛けられる稲束のことを言います。

一羽の真名鶴が根が一株で八握穂に茂っている稲を示し、倭姫命がそれを大神に捧げたという伝説を持つカケチカラの起源の地とされています。

さいくう平安の杜

史跡斎宮跡に平成25年正殿・脇殿・東脇殿の三棟の建物が復元され、正殿内部ではボランティアの方による説明を聞いたり、映像を見ることができます。

斎宮跡は昭和45年初めて発掘され、国の史跡に指定された後も発掘調査が進められています。

その威容はまさに明和町のランドマークといえます。また年間を通し周辺の花々も楽しめます。

業平松

平安時代に斎王が伊勢へ狩りの使いに来た在原業平との別れを惜しみ、歌を詠み交わしたという故事に因んでいます。

現在の松は三代目であり、周辺は駐車場・トイレ完備の業平公園となっています。

プレイボーイ業平は斎王までとりこにしたと思うと悲恋物語ながら夢がありますね。因みにここの北からの大淀の景色は私のお気に入りです。

竹佐々夫江行宮跡

本当に田圃の中という立地ですが、倭姫命が伊勢の地に入られた後、大淀に御船を止めて造り、しばらく留まった宮の跡とされています。

北側の60号線に案内表示が出ているのでわかりやすいです。

斎王尾野湊御禊場跡(町指定史跡)

こちらは通りから草の中を行きました。伊勢神宮に向かう際、斎王が禊をした場所として伝わり、尾野湊とは現在の大淀海岸を差します。

業平松の東200mほどの地点に案内表示が出ています。(明和町内の多くの史跡は案内表示が充実している為迷わずに探訪する事ができます。)

竹神社(野々宮跡・斎宮城跡)

最近インスタを中心に満月の御朱印と花手水で有名になりました。明治11年に鎮座されたこの地はかつて野々宮が祀られていた地であり、旧竹神社の地は斎宮歴史民俗博物館南方に標示と碑があります。周辺では平安期の大規模な塀列や掘立柱建物の跡が発掘され、斎宮の中枢・内院の場所ではないかといわれています。

その他面白いのが、室町期に地元の住人野呂三郎がここに城砦(斎宮城)を築き狼藉を働いた為、国司北畠材親に討伐された斎宮城の跡地でもあります。(社務所は土・日の11~16時まで開かれており、西側に駐車場も完備されております)

竹川の花園

源氏物語で詠まれる詩にも登場する、いにしえの花園跡は斎宮歴史博物館を南西に自然豊かな田園地帯を進んだ線路岸にあります。平安期には湿地地帯で、四季の花々が咲き誇った園であり、多くの斎王もそれを愛でたと伝わります。

撮影スポットとしてもおすすめです。

秡川

こちらは竹川の花園跡を西に進み復元された神宮橋(昭和53年まで現存)が架かっております。 伊勢湾にそそぐ一級河川であり、斎王が禊をされたと伝わっております。

その美しい水をたたえる様相は心の穢れまでも洗い流してくれそうです。

斎王の森

近鉄斎宮の駅からまっすぐ北にいつき茶屋を過ぎたところに所在しています。

江戸後期にはその存在が知られた斎宮御殿の跡地とされています。

杉の黒木の鳥居をくぐると、南のにぎわいから逃れ、すっと背筋が引き締まるようです。

隣接する芝生広場では、発掘調査で確認された掘立柱建物の柱跡や井戸の復元なども見られるほか、初代伊勢斎王大来皇女の歌碑も建てられています。

歴代の主な斎王の紹介(数字は代数)

10.大来皇女(おおくのひめみこ)-661~702(斎王任期673~686) 

天武天皇の皇女で初代伊勢斎王。名張市の国指定史跡夏見廃寺(昌福寺)を父の天武天皇または弟で無実の罪で自害させられた大津皇子を偲んで建立したとされています。大津皇子は自害される前に斎宮の姉を訪ねたとされています。(左写真は夏見廃寺)

18.井上内親王(いのえないしんのう)-717~775(斎王任期721~44)

聖武天皇の皇女でのちに光仁天皇の后となられました。藤原式家の陰謀とされる呪詛の罪で廃され、五條に皇子である他戸親王とともに幽閉されました。御陵とされる宇智陵が五條市にあります(左写真)。

40.徽子女王(きしじょおう)-929~985(斎王任期936-45)

“斎宮女御”としても知られる三十六歌仙の一人です(わずか五人の女性の三十六歌仙で唯一の女性皇族であります)。醍醐天皇の皇孫にあたります。斎宮退下後、村上天皇の女御となりました。(左写真は守山天満宮所蔵三十六歌仙額から”斎宮女御”)

45.隆子女王(たかこじょおう)-?-974(斎王任期969-74)

醍醐天皇の皇孫にあたり、円融天皇の斎宮として卜定されました。疱瘡の流行の為斎宮寮で亡くなり、伊勢斎宮任期中に死去された初めての斎宮となりました。陵墓が町内馬之上に残っております。

51.良子内親王(ながこないしんのう)-1030-77(斎王任期1036-45)

67代後朱雀天皇の第一皇女で、現在斎宮歴史博物館で観ることができる映像”斎王群行”のヒロイン。この映像は群行に同行した藤原資房(1007-57)の”春記”を基にしている。

65.惇子内親王(あつこないしんのう)-1158~72(斎王任期1168~72)

後白河天皇の皇女で高倉天皇・以仁王らの異母姉妹にあたります。在任中に死去された二人目の斎王となりました。 墓所伝承地(町指定史跡)が有爾中に存在しますが学説的には否定されております。

<斎王についてより知るために>

斎宮歴史博物館の展示をご覧いただくのが一番なのですが、その他日本遺産活用推進協議会が平成28年度に制作した「斎宮」アプリ内にてマンガ”祈る皇女斎王”が配信されております。

次頁では明和町の文化財や物産、取り組みをご紹介させて頂きます。