アメリカでの活動/My Stage in USA

単身で渡米し、米国の音楽・宗教・芸術文化の現場に身を置きながら、日本の歌曲を中心とした演奏活動と研鑽を行いました。

※追記
2020年以降のCOVID-19の影響により、滞在中にご厚誼を賜った方々の中にも、残念ながら鬼籍に入られた方がおられます。生前にいただいたご厚情に深く感謝するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

米国での活動報告~2019年12月

J.F.ケネディ国際空港を利用し、クイーンズ地区からマンハッタンへ移動。ジャズの歴史と現在が日常に息づく街の空気を感じながら、地下鉄構内でのサックス演奏など、音楽が生活と密接に結びついた環境に身を置くことから滞在が始まりました。

滞滞在初日は、オシニング第一長老派教会(プロテスタント)にて、礼拝の中でクワイヤ(聖歌隊)に参加。音楽監督は、長年コートランド・パフォーミング・アーツで指導に携わり、ブロードウェイでも活動されてきたキャロル・アルッチ女史。6曲にわたる充実したプログラムとなりました。礼拝後には会衆の前で紹介を受け、同教会が大切にしてきた音楽の伝統の一端に加えていただいたことに、深い感謝を覚えました。

午後には、ヘイスティングス・オン・ハドソンにあるウエストチェスター・ヒルズ墓地にて、作曲家ジョージ・ガーシュウィンの墓を訪れ、墓前で《Summertime》を歌唱。兄で作詞家のアイラ・ガーシュウィンとともに眠るこの地で、アメリカ音楽史への敬意を新たにしました。

2日目には、オシニング市役所を訪問し、市長デーナ・リーヴェンバーグ氏と面会。日本での矯正展での活動や、松阪市・明和町など地域文化について紹介し、文化交流の意義について意見交換を行いました。温かく迎えていただき、交流の継続への手応えを感じるひとときとなりました。

3日目には修道会にてコンサートを開催。日本の歌曲を中心としたプログラムを披露し、《京都慕情》《ふるさと》など日本的情緒を持つ作品には、深く心を動かされたとの声を多くいただきました。また、当時話題となっていたローマ教皇訪日のテーマソング《Protect All Life》も紹介し、宗教・文化を越えた音楽の力を共有する機会となりました。

その後、広大な敷地を有するケンシコ墓地を訪れ、セルゲイ・ラフマニノフをはじめ、多くの作曲家・演奏家・芸術家が眠る地で墓参を行いました。音楽史を形づくってきた先人たちの歩みを辿ることで、自身の表現の在り方を改めて見つめ直す時間となりました。

マンハッタンでは、NY CITY JAZZ Underground の演奏を鑑賞し、地下鉄という公共空間で高度な音楽が日常的に提供されている現状に強い刺激を受けました。また、ジュリアード音楽院、ホテル・チェルシー、ヴェルディ・スクエアなど、音楽・芸術史と深く結びついた場所も訪問しました。

滞在中には思いがけない負傷もありましたが、現地医療スタッフや周囲の方々の支えにより回復し、予定していたコンサートも無事務めることができました。日本語をほとんど話されない神父が《琵琶湖周航歌》を歌われる場面や、《城ヶ島の雨》のリクエストをいただくなど、言語を超えて日本の歌曲が受け入れられる瞬間に、音楽の本質的な力を改めて実感しました。

本場の音楽文化に数多く触れ、これまでの自身の取り組みを省みると同時に、表現の集中力や精度をさらに高めていく必要性を強く感じました。この経験を糧に、今後も国内外での活動に一層真摯に取り組んでまいります。

※本活動は、後年に続く米国での継続的な演奏活動および福祉・宗教施設での実践的な音楽活動の原点となった滞在です。

アメリカ公演を終えて 2017

2017年の滞米では、演奏活動を中心に、音楽文化の現場に直接身を置く非常に実りある機会を得ることができました。

現地アーティストとの共演を通じて、これまで以上に多くの日本のポピュラーソングを紹介する場に恵まれました。演奏後には「”昴”は英語でどのような意味を持つのか」といった歌詞への質問や、「日本の歌曲に深い関心を持っている」といった声をいただき、日本の音楽が言語や文化を越えて受け取られていることを実感しました。また、現地で出会った音楽家との交流を通じ、新たな楽曲や表現のヒントを日本へ持ち帰ることができたことも大きな収穫です。

かつて師から教わった「巧さよりも、伝えることを大切にせよ」という言葉の意味を、今回の滞在を通して改めて実感しました。音楽は技術だけでなく、背景や想いを含めて届けることで初めて共有されるものだと強く感じています。

滞在最終日には、オシニング市役所を訪問し、市長ヴィクトリア・ゲアリティ氏と面会しました。四日市市の万古焼や各種パンフレットを持参し、日本の地域文化について紹介する機会ともなり、音楽を通じた文化交流の一端を担う経験となりました。コンパクトで機能的な市庁舎の佇まいも印象的で、地域に根ざした行政の姿勢を感じることができました。

また、セント・テレサ・レジデンスでは、かつて日本で活動されていた修道士の方々の前で演奏の機会をいただき、音楽への深い理解と温かい反応に触れることができました。人生経験を重ねてこられた方々に日本の歌曲を通して心を通わせることができたことは、演奏者として大きな励みとなりました。

オフの日には、デューク・エリントン、ビリー・ホリデイ、ジェームズ・ブラウンなど、アメリカ音楽史を象徴するアーティストゆかりの地を訪れ、音楽が社会や時代とどのように結びついてきたのかを改めて考える時間を持ちました。

言葉では伝えられない感動を日本に持ち帰り益々邁進して参ります。

一人でも多くの方に生歌を聴いて戴けますように。

アメリカ公演を終えて 2016

2016年の滞米では、7か所にわたり演奏の機会をいただき、アメリカの人々の音楽に対する柔軟で開かれた姿勢に、強い印象を受けました。

帰国後、「英語の歌を中心に歌ってきたのですか?」と質問されることも多くありましたが、実際には演奏した楽曲の約8割は、日本で長く歌い継がれてきた叙情歌でした。
“ふるさと””おぼろ月夜””荒城の月””千の風になって”など、日本語の歌詞をそのまま用いながら演奏しましたが、「言葉の意味は分からなくても、心に届いた」という声を多くの聴衆からいただき、音楽が言語を超えて伝わる力を改めて実感しました。

特に”千の風になって”は、英語詩Do Not Stand at My Grave and Weepとしてアメリカでも広く知られており、文化背景の異なる聴衆にも自然に受け入れられていることを実感しました。また、在米の日本人修道女の方々が涙を浮かべながら聴いてくださる場面もあり、日本の歌が持つ情感と記憶の力を強く感じました。

今回の滞在の中で特に心に残っているのは、日本で長年奉仕活動を続けてこられた修道女の通夜および葬儀(Wake・Funeral)において、歌唱を任せていただいたことです。人生の節目となる厳粛な場において、音楽を通じて祈りと想いを共有できたことは、演奏者として忘れることのできない経験となりました。

葬儀後、ご遺族の方から、日本語で「一番(Ichi-ban)」という言葉をかけていただきました。拙いながらも、日本の歌曲がその場にふさわしい形で受け取られたのだと感じ、大きな励みとなりました。

この滞在を通して、音楽や歌は文化や国境を越え、人と人を結びつける力を持っていることを改めて確信しました。今後も、平和と共感を大切にしながら、一人でも多くの方に生の歌声を届けられるよう、活動を続けてまいります。